こんにちは!梅田です。今回の『旬な京都便り』は京都の繁華街、四条河原町にある二つの京極を
お伝えします。
「新京極」と「寺町京極」の二つの京極。皆様も京都への修学旅行の際には立ち寄られたのではないでしょうか。
写真手前右側が新京極、左側奥に位置するのが寺町京極です。
ほぼ同じ位置に同じように並ぶ京極ですが、その表情は随分と違うんですよ。
まずは、「新京極」からご案内します。
「そうそう、確かこんな感じだったわ」思い出されましたか?この新京極は東京に首都が遷ったため、
京都の街を盛り上げようと明治の初めに作られた商店街です。寺町京極と比べるとより観光客向きの
お店や土産物屋さんが立ち並ぶのが特徴ですが、そんななかでも
『関東大震災で東京浅草から移ってきた一代目が、大正時代の建物で昭和2年に創めた大衆食堂』
(京極スタンドホームページより)昔ながらの食堂(中も超レトロ!)があったり、
権太呂のブログでもたびたび登場する錦天満宮があったりします。そしてさらに歩みを進めると、
和泉式部ゆかりのお寺誠心院があります。「何と言う街中にお寺が…」とお思いかもしれませんが、
後ほど登場するお寺も含め、豊臣秀吉が京都の寺を集め「寺町」を作ったことに因ります。
この誠心院に訪れた際にぜひ試して頂きたいのが下の「鈴成り輪(すずなりぐるま)」です。
「お願いをしながら車を廻すと願いが叶う」そうなのですが、
「手をはさまないように」注意する必要があるんです。チャンスとピンチは紙一重と言ったところでしょうか。
続いて寺町京極をご案内します。先程もお伝えしましたが、時の為政者秀吉の政策により、
当時のお寺がこの寺町通に集められます。税金を徴収しやすくするためと京都の街の防衛のために
このようなことをしたということです。
この矢田寺はお盆の時にお精霊さんを”あの世”に送る「送り鐘」で知られています。
「敵は本能寺にあり」と明智光秀が信長に謀反を起こした本能寺もここにあります。
(もっとも、これも秀吉の政策のため、「本能寺の変」の時と現在では本能寺の場所が違っています。)
そしてここは、寺町通と三条通りの交差点なのですが、手前から奥に伸びる寺町通が”ずれて”いるのが
おわかりでしょうか。秀吉の時代に京都を守る役目を担った「御土居(おどい)」に沿って、寺を集めた際に
寺町通もこのように”ずれた”通りになったのだとか。歴史上の人物や出来事はあまりピンときませんが、
こんなところに今なお影響があるんですね。
そして、この寺町通は画廊や古本屋が多いことでも知られています。
そんな”アート”な雰囲気が街中にあるからでしょうか、
街行くおじさまの関心事も”民族楽器”であったり、
リヤカーを引いて売り歩くのが”おにぎり”であったり、
有名なお香のお店の軒先では、
季節感が感じられたり、
一見”ニッチ”に思える(失礼しました)消防服のお店が永らくお店を経営されていたり、
黒チョッキに蝶ネクタイのマスターが営業してそうな昔ながらの喫茶店があったりするんです。
この寺町京極は新京極と比べると地元の方向けの印象があり、あまり京都を前面に押し出していない気がします。
とはいえ、そこから感じられる店の雰囲気や何気ない街の様子に歴史のギミックが見て取れますね。