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5月16日葵祭

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2012.05.20

今年の葵祭りは、15日が雨のため中止になり16日に行われました。
16日は晴天にも恵まれ、無事巡行が終了いたしました。
そんな葵祭りの様子を中西がお伝えします。

今から約1400年前の欽明天皇(540~571年)の時代に、大凶作に見舞われ疫病がはやりました。天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々の祟りであるというので、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源とされています。

京都御所を出発し下鴨神社を経て上賀茂神社まで約8キロも道なりを練り歩きます。
行列に加わる人は500余名以上で、その長さは約1キロにも及びます。
平安時代には最も盛大で人気のあったお祭りだったそうで平安時代の王朝装束の行列を見ようと、都の人々がこぞって集まったと伝えられているそうです。

行列は、本列と斎王代列に大別され、本列は勅使を中心にした列と、
斎王代列は女人列といわれる斎王代を中心にした列が続きます。
装束は着付けや、調度など平安時代の文物風俗を忠実に保っているそうです。



乗尻(のりじり) 行列を先導する騎馬官

検非違使志(けびいしのさかん) 行列の警備担当

こちらは行列の中でも最も位が高く、天皇陛下からの勅使の代理を務める近衛使代(このえづかいだい)です。

「源氏物語」の中では、光源氏がこの役を務めたとあります。
お祭を見に来た「葵の上(光源氏正妻)」と「六条御息所(愛人)」の従者が
牛車を止める場所で争い、
六条御息所が恨みに思うのもこの「葵祭」が原因となっています。
いかにこのお祭の人気が高かったかをうかがわせる話ですね。

馬にも注目!
近衛使代の馬には、銀面がつけられています。

いわゆる荷物持ちの列も続きます。
下社と上社に奉る御幣物を納めた柳筥や御幣櫃を露払いするための梅の細枝を持つ者や、御幣櫃を守護する人等も参列しています。
荷物の中には楽器もあります。



参列者の帽子には葵の花がつけられています。
葵祭りに関わる人や物すべてに葵の葉をつけているのも大きな特徴だそうです。

角を曲がってきたのは斎王代が乗る「腰輿(およよ)」です。

葵祭りのヒロイン「斎王代」です。
斎王は本来未婚の皇女で、神に仕えること女性です。
斎王に代わる「斎王代」には京都在住の未婚の女性が選ばれます。
毎年「今年は○○のお嬢さんが選ばれはったわ~」と京都の町で大きな話題を呼びます。
そんな今年の斎王代には、400年以上続く京呉服「ゑり善」の娘さんが選ばれました。



騎女(むなのりおんな) 斎王付きの清浄な巫女(みかんこ)で、騎馬で参向します。

童女の列。かわいいですね。

手前二人は、采女(うねめ)、配膳係です。

斎王代を中心の女人行列は女別当、内侍、命婦、女嬬、采女、童女、騎女などが参列しています。

行列に華を添えるのは人物だけではありません。
まずは「牛車」御所車ともいわれ、平安朝以来の乗用車的存在です。
動くたびにギシギシと音を響かせて進んでいく姿は迫力満点です。
どうやら本当に重いようで、なかなか進みませんでした。

こちらは「花傘」です。風流傘ともいい大きな傘に紺布を張り、錦の帽額総(もこうふさ)などをかけわたした上には造花が乗っています。

他のお祭りでもよく見られる道具ですが、葵祭の風流傘は随一の美しさを誇るといわれています。毎年取り替えられています。

葵祭りの行列には馬も36頭参加しています。
この日は暑い日で、機嫌の悪い馬が数頭いました。暴走しないか心配になるほどです。

大勢の人で、後ろに立っていたのでは見えません。
こうして台の上で見ることになります。

葵の葉の位置を直してもらっている子供と草履を結び直してもらっている人。

列の最後尾グループです。
よく見るとブルーの制服(現在の服)の人がいます。
御所警備の人でしょうか。行列で見たときは、全く違和感を覚えませんでした。

御所の中は、行列の通る道以外は豊かな緑にあふれて
静かな時が流れていました。

御所は広いので、少し早目に行って場所を確保すればゆっくり見ることができます。機会があれば「王朝絵巻」をご覧いただきたいと思います。
本日は最後までお読みいただき、ありがとうございました。 (中西)