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今年で100年「蹴上浄水場」

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2012.05.27

花の時期は過ぎてしましましたが、今年で100年を迎えた「蹴上浄水場」を中西がご案内いたします。

 京都から滋賀県へ向かう峠の手前に古い煉瓦の塀が続きます。
それが、蹴上浄水場で、日本最初の急速ろ過浄水場として明治45年(1912年)から給水を開始しました。

毎年ツツジ咲くころに一般公開されています。例年は4日間、今年は100周年記念で1週間に延長されていました。

歴史を感じさせる煉瓦の建物です。

貯水池のある斜面の土崩れを防ぐために植えられたツツジが現在4600本、ツツジの名所として知られるようになりました。

<急速ろ過池>
小学生の頃、遠足か社会見学で来ています。
この光景は昔と変わらないような気がしますが、今となっては記憶は定かではありません。
行ったことを覚えているだけエライ!と考えることにしました。

ここで処理した水は、清水寺、八坂神社、銀閣寺のあたりの水道水に供給されています。
凝集沈殿池は工事中でした。工事が終われば水の供給量もどんと増える予定です。

山に囲まれた京都の地形を生かして作られています。

山登りとまではいきませんが、ちょっとした登り道が続き、南禅寺方面から洛北の方まで見渡すことが出来ます。

奥に見えるのが「最高区配水池」

<第一高区配水池>
100歳で現役です。

与謝野晶子歌碑

「御目ざめの 鐘は知恩院 聖護院 いでて見たまへ 紫の水」

浄水場の中に「与謝野晶子歌碑」?と不思議に思うと、
与謝野鉄幹、晶子が落ちあい2泊3日の時を過ごした粟田の宿「辻野」がこの辺りにあったことからと説明がありました。

この日本最初の急速ろ過浄水場を作ったのが、田辺朔郎博士で、琵琶湖疎水や日本最初の水力発電所も彼の功績に挙げられています。

卒業論文『琵琶湖疏水工事編』がきっかけで、京都府知事北垣国道氏に請われ、卒業と同時にこの事業を任されました。わずか22歳です。

南禅寺の水路閣も田辺博士の功績です。100年経ても実用的で美しさを保っています。

水路閣の上では、今でも琵琶湖の水が流れています。

博士は工事期間中留学したのをきっかけに水力発電所を完成させ、その電気で京都に市電が走りました。
水、電気、電車とライフラインに大きな功績を残しています。
京都だけではなく、北海道の鉄道、関門トンネル、大阪市営地下鉄にも関わっているんですよ。
博士は完成まで7年を費やした琵琶湖疎水完成後、北垣知事の長女と結婚しています。
どんな人間ドラマがあったのか気になる所です。

つい先日、立川志の輔さん独演会で「大河への道 伊能忠敬」を堪能してきましたが、
これも「大河への道」にならないかと思いました。

蹴上浄水場は、毎年ツツジの頃に一般公開されています。
機会があればぜひお訪ねくださいね。(中西)