みなさま、こんにちは。
今回初めてブログを担当します、調理部の柴田と申します。
つい先日に自筆の書状が見つかり、
彼のおこした事件の真相に一歩近づいたのではと話題の「明智光秀」のお墓(塚)を紹介したいと思います。
明智光秀と言えば本能寺の変において織田信長を討った逆臣、
裏切り者の代名詞としてその名を知られていますが、
丹波を治めていた時分に領民から愛される領主であり、
また愛妻家であったという評価もあります。
光秀は山崎の合戦で秀吉に敗れ、居城であった坂本城(現在の滋賀県大津市)に引き揚げる途中、
小栗栖村(現在の京都市伏見区)で落ち武者狩りに会い自刃しています。
また光秀終焉の地である小栗栖には「明智藪」と呼ばれる場所も存在おり、
なぜ東山にお墓が存在しているのか?
(お墓の位置と明智藪は直線距離で10キロほど離れている)と疑問もありますが、
その謎についてもお墓の説明書きに記されています。
ぜひ京都にお越しの際はお立ち寄りになり確認してみてください。
京都市営地下鉄東西線「東山駅」が最寄駅です
二番出口より出て三条通りを東(蹴上方面)へ歩きます
白川沿い(川の東側)を南下します
100mほど歩いて「餅寅さん」の角を左へ
こんな看板も出ています
20m奥の左側にあります
餅寅さんの「光秀饅頭」
明智光秀の家紋として有名な「桔梗の紋」が入っています。
右は抹茶味で中身は京風白味噌あん
左は黒糖味で中身は粒あん
おまけ
近くにはこんな石碑もあります
探してみてください