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こんなところにひっそりと・・・

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2017.09.17

みなさま、こんにちは。

今回初めてブログを担当します、調理部の柴田と申します。

 

つい先日に自筆の書状が見つかり、

彼のおこした事件の真相に一歩近づいたのではと話題の「明智光秀」のお墓(塚)を紹介したいと思います。

 

明智光秀と言えば本能寺の変において織田信長を討った逆臣、

裏切り者の代名詞としてその名を知られていますが、

丹波を治めていた時分に領民から愛される領主であり、

また愛妻家であったという評価もあります。

 

光秀は山崎の合戦で秀吉に敗れ、居城であった坂本城(現在の滋賀県大津市)に引き揚げる途中、

小栗栖村(現在の京都市伏見区)で落ち武者狩りに会い自刃しています。

 

また光秀終焉の地である小栗栖には「明智藪」と呼ばれる場所も存在おり、

なぜ東山にお墓が存在しているのか?

(お墓の位置と明智藪は直線距離で10キロほど離れている)と疑問もありますが、

その謎についてもお墓の説明書きに記されています。

 

ぜひ京都にお越しの際はお立ち寄りになり確認してみてください。

 

 

京都市営地下鉄東西線「東山駅」が最寄駅です

 

二番出口より出て三条通りを東(蹴上方面)へ歩きます

 

白川沿い(川の東側)を南下します

 

 

100mほど歩いて「餅寅さん」の角を左へ

こんな看板も出ています

 

20m奥の左側にあります

 

 

餅寅さんの「光秀饅頭」

明智光秀の家紋として有名な「桔梗の紋」が入っています。

右は抹茶味で中身は京風白味噌あん

左は黒糖味で中身は粒あん

 

 

おまけ

近くにはこんな石碑もあります

探してみてください