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【京都五社めぐり】  三社めは「平安神宮」

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2012.06.24

 

こんにちは。平沼です。
今日は引き続き私が五社めぐりをご紹介します。

本日の五社めぐりは、日本文化のおや神様 「平安神宮」です。

平安神宮は明治維新後、都が東京に移り、衰退していた京都復興への
市民の情熱により、明治28年に「平安遷都千百年記念祭」が企画され、
そのイベントに、第4回内国勧業博覧会を京都の岡崎で開催すること
が決定しました。その博覧会のシンボルとして、平安京の大極殿と
応天門だけを8分の5規模で復元して建設されたのが平安神宮です。

もちろん単なるシンボルではなく、平安初代の桓武天皇の御霊を
奉祀する神社として創建されたものです。
「日本文化のおや神様」として今も広く崇拝を集める神社です。

(大鳥居は昭和4年に昭和天皇の即位を記念して創建されたものです。)

こちらは応天門。

京都市立美術館と国立近代美術館の間に大きな鳥居があり、
その大鳥居を北に歩くと正面に朱塗りの楼閣、応天門があります。
東西約119メートル、南北約155メートルの内郭を土塁が囲み、
その南正面に朱丹(しゅぬり)がされています。

現在の応天門は、再建された建物ですが朱塗りの応天門は
平安時代を思わせる建築ですね。

応天門から平安神宮の境内に入ると、正面に大極殿が見えてきます。

寝殿造の構造で正面30m、入母屋造の屋根は碧瓦を葺き棟の
両端には金色の鴟尾(しび)を置いています。
平安京の大内裏朝堂院の正殿大極殿を模造したものだそうです。

大極殿の奥には平安神宮の拝殿、本殿があります。

大極殿(応天門から望む大極殿)もさまになってます。

大極殿の前に植わっている2本の木がありますが、こちらは
左近の桜と右近の橘といいます。

大極殿は国家行事を行う正殿であり、ここに座る天皇から見て
左側にあることから「左近の桜」と呼ばれ、右側にある橘は「右近の橘」
と名付けられましたそうです。

こちらは「左近の桜」です。

そしてこちらは「右近の橘」です。

ちなみに「左近の桜」「右近の橘」を並べて言うときは、桜のほうを先に
言うそうです。これは朝廷では左が上位だからとのこと。
勉強になりました。



こちらは、蒼龍楼(そうりゅうろう)です。
平安京朝堂院(ちょうどういん)の様式を模したものである。
屋根は、四方流れ・二重五棟の入母屋造(いりもやづくり)・
碧瓦本葺(みどりがわらほんぶき)が施されています。



こちらは、白虎楼(びゃっころう)です。

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ここからは、神苑をご紹介します。

神苑は明治から昭和にかけての名造園家である7代目・
小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、
国の名勝に指定されています。
神苑の広さは30,000㎡で、本殿を囲んで南、西、中、東の
四つに区画されています。季節ごとに色々な花が楽しめますので、
何度訪れても飽きない場所です。

南苑へ入ったらすぐに電車が置かれています。
「なぜ?こんな場所に電車が・・・」と思っていたら、びっくりしました。

こちらは明治28年に運行したという日本最古の電車です。
平安神宮創建とも深い関係があることから京都市より払い下げを受け、
記念として保存されています。

こちらは西神苑にある菖蒲です。
私が訪れた時は少し見頃は終わりかな・・て感じでした。
見頃だったらもっと満開できれいだったと思います。

東神苑は巨大な栖鳳池が占めています。
池の真ん中に橋殿が架かっているのが大きな特徴で、橋殿は
正式には「泰平閣」といいます。橋殿の中央には楼閣が作られ、
屋根の上に鳳凰があります。

平安神宮はとても広大で初めて行かれた方はその大きさと
平安京が生まれたばかりの風景を体験できるところとして
きっと感動されると思います。

一度は是非訪れていただきたい場所です。
もし行かれることがあるなら、スニーカーなどがオススメかもしれません。
敷地は砂利なので、女性であるとヒールなどは結構きついかも知れませんよ。

京都五社めぐり―平安神宮 いかがでしたでしょうか?

次回は、城南宮か上賀茂神社どちらをお伝えしようかな。。と思いつつ
本日はこのあたりで終わたいと思います。

今回も最後までご覧いただき有難うございました。平沼