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宇治川の鵜飼

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2013.07.14

こんにちは、中西です。
本日は、宇治川の鵜飼をご紹介いたします。

宇治川の鵜飼は平安時代から行われたと言われ、「蜻蛉日記」に見物した様子が書かれています。平安貴族の衰微とともに衰退しましたが、大正15年に再興し、今では宇治川の花火大会とともに宇治の夏の風物詩になっています。

本日は公休日。留守番の鵜たち

出勤の鵜はこの竹籠で待機中

乗合船の受付が18時からなので、間に合うよう宇治川の塔の島へ向かいます。
私たちは「宇治川」と呼んでいますが、琵琶湖を源とし、上流は瀬田川、中流は宇治川
木津川、桂川と合流し、「淀川」となります。上流には天ケ瀬ダムもあります。

塔の島付近の流れのゆるやかな所で、舟遊び、鵜飼が行われています。
左側が島。右の川岸からは平等院もすぐ近くです。

6時半から乗船が始まり、7時ごろ出船です。向こうに見えるのは宇治橋です。

ほの暗くなったころから船頭さんが船をこぎ始めました。

鵜匠も身支度を始めます。
鵜を操る「鵜匠」が宇治には3名在籍していて、内2名が女性です。
「風折烏帽子」を巻いているところですが、これはかがり火から髪を守るため、
腰蓑は水濡れ対策です。
また上着は、鵜が白いものや光るものを怖がるために濃いめの色を身に着けるそうです。
川面に服が映ると魚が警戒するというのも濃い色の上着にする理由の一つだそうです。

左端の鳥に注目!
鵜ではなく、アオサギです。おこぼれの魚にありつこうと待機中。
鵜は働いて魚を獲るのに上前をはねるサギ師だと、私の乗った船の船頭さんが話していました。

すっかり暗くなるとかがり火を焚いて、鵜飼が始まります。
鵜飼は、並んでいる船の両側を回り、どの船からもよく見えるように演出されています。

船が多い日は鵜匠2人(どちらも女性)が鵜飼を見せてくれるそうです。

鮮やかな手綱さばきは、さすが匠の技
川幅が狭いため、鵜飼の船が近づくとかがり火に熱さに思わず顔を引っ込めてしまうくらいです。
鵜の背中も触っていいんですよ。それ位の近さです。触りたいかどうかは別問題として。

座った席が近かったので、船頭さんにお話を聞かせていただきました。
鵜は全部で15羽、鵜匠は6羽を操ります。
鵜たちは1日1食で、この時間が空腹のピーク時。せっせと漁に励みます。
捕っても食べられないとやる気が出ないのは人間と同じ、小さな魚は呑み込めるよう
綱を調整してあるそうです。

さて、頑張って獲った魚はどうするんだろうと聞くと、鵜飼ショーの後で鵜の餌になるのだそうです。

さて、ここからが裏話
夏の3か月、鵜は働いて魚を取りますが、残り9月は世話をしなければなりません。
このエサ代が年間100万かかるそうです。
またかがり火にはジンマツ(松の根っこ)を使い、雨が降っても消えないのだそうですが、これが50万するという話でした。

鵜匠も女性たちが頑張っているので、彼女たちの師匠を残し男性はやめてしまったとか。
自分たちでは絵にならないし、それだけで生活できないということもあるようです。
(鵜匠さんはきれいな方で、確かに絵になります)

彼女たちも昼間は観光協会、学校で事務とそれぞれ仕事をし、
夜は鵜匠をこなし、年間を通じて鵜の世話をしています。
好きでなければできない仕事ですね。

船頭さんはこの道50年の大ベテラン、鵜飼と同じくらいこの船頭さんの話が面白くて、いい場所に座れて良かったと思いました。

鵜飼に興味を持たれた方は、宇治、嵐山で行われていますので、下記のページでお確かめください。
京都駅からだと宇治の方が近いかもしれません。四条河原町からだと嵐山が便利です。
<宇治>http://www.kyoto-uji-kankou.or.jp/
<嵐山>http://www16.plala.or.jp/kyoto-yakatabune/

本日は最後まで読んでいただき、ありがとうございました。(中西)