こんにちは、中西です。
本日ご紹介するのは、京都市北区の雲ヶ畑です。
行ったことがある人を探す方が難しい、隠れ里のようなところです。
ようやく車1台が通れるくらいの山道の終点に「志明院(岩屋不動)」があります。
市内中心地の四条烏丸から送迎バスで約50分で到着しました。
上賀茂から賀茂川沿いに道を上り、ここが最終地点でした。
「道」はどこかにつながるものだというイメージがあります。
鞍馬からだと花背を通り、周山街道で京北や福井などに行けます。
大原を通り抜ける道は、滋賀、福井への近道にもなります。
道が終わる場所というのは、私にとってはちよっとした驚きでした。
650年に役行者が創建し、829年に淳和天皇の叡願により空海により再建された本堂には、
空海開眼の不動明王があり、奥院には宇多天皇の勅願により菅原道真が手彫りしたと言われる眼力不動明王があります。
古くから皇室に崇敬されてきた由緒ある寺院です。
そのわけは、鴨川の水源地である洞窟の湧水がここにあるからなのです。
本堂にお詣りをと足を進めた途端に、大粒の雨が降り始めました。
『行くな、ということ?』とちょっと考えたら、
「この辺りは、お弁当を忘れても傘は忘れたらあかんって言われてます」とご住職の奥さまらしき方のお話でした。
山の天気は変わりやすいということですね。
歌舞伎「鳴神」で有名な鳴神上人が龍神を閉じ込めた所と伝承される護摩洞窟がある、
司馬遼太郎が好んだ山寺で、アニメ「もののけ姫」のタイトルもこの森から生まれた等
伝承、逸話が数多くある修験道の地です。
山門内は撮影禁止なので、カメラは受付で預けます。
またたくさんの人数では入れません。10人単位で、あとは待機、順番待ちとなります。
志明院の周りは少し紅葉が進んでいましたが、それもそのはず、気温は5度。冷え込んでいました。
突然ですが・・・猪です。
実は、この日はスタッフ全員で出かけておりました。
咲き誇る大輪の牡丹。
ボタン鍋を食べに雲ヶ畑まで出かけたのでした。
囲炉裏端で、白味噌仕立てのぼたん鍋
時間とともにお鍋の白味噌の味に変化が出て、最後はとろとろに煮詰まったお出しをご飯にかけていただきます。
おかわり続出、権太呂スタッフは美味しいものを食べるのが大好きなのです。
美味しいものを食べると幸せな気分になり、私たちも同じように幸せな気分をお届けしたいと思います。
私たちはこれからが繁忙期、「さぁ、頑張るぞー」とみんなの気持ちを一つにして雲ヶ畑を後にしました。
送迎バスと美味しいお鍋でお世話になったのは、洛雲荘さん。
雲ヶ畑にただ1軒ある料理旅館です。
夏に川床に行った際、「冬はぼたん鍋があり、団体なら送迎バスもあります」と教えていただいたのでした。
夏は川沿いの右の建物で川魚料理です。
いくつもの谷川が合流し、名前を変えて「鴨川」になります。
雲ヶ畑の地が汚染されると、下流の京都御所、京都の町一帯に影響するからと
この地域の人たちは、この地を汚さないように生活をしてきました。
昭和30年代までは死者の埋葬(穢れとされていました)もこの地でせず、
持越峠を越えて真弓集落まで運んで埋葬していました。
かつては、おむつをゆすぐこともできなかったそうです。
現在でも、地元農協の女性部では「手作り廃油石鹸」を奨励し、生活排水をきれいに保つように努力しています。
私が子供のころは、友禅染の染料を洗い流す作業が(友禅流し)鴨川で行われていました。
昭和40年代に水質汚染になるからと廃止されたのですが、ずっと昔から雲ヶ畑では水をきれいに保って暮らしてきました。
今まで知らなかったのですが、水を守る生活をしてこられた雲ヶ畑の方たちに感謝して暮らさなければいけませんね。
皆さんも鴨川を見たら、源流にも思いを馳せてください。
<雲ヶ畑へ行くには>
京都バスの路線バスは廃線になり、雲ヶ畑自治振興会による「もくもく号」が北大路駅から岩屋橋まで運行されています。
1日2回、ジャンボタクシー(9人乗り)
車で行く場合は・・・かなりドキドキします。曲がりくねった山道、対向車とすれ違う場所がない等
まとまった人数で食事の場合は、洛雲荘さんが送迎してくれます。
ちなみに志明院では携帯は通じません。洛雲荘さんでようやくドコモのみ。(市内なのに圏外)
緊急連絡のある人は要注意です。
今回は京都の「穴場」、雲ヶ畑をご紹介いたしました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。(中西)