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権太呂ブログ

あちこち散歩 1

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2013.08.01

こんにちは平沼です。
本日はあちこち散歩シリーズ1をお伝えいたします。
京都には、あちこち散歩していると、「ん!?」と
思うようなところがたくさんあります。
今回はそんな「ん!?」と思った場所をご紹介します。

まずはこちらの悪王子社です。
こちらは東洞院通綾小路上ったところの元悪王子町にあります。

この悪王子社は素戔嗚尊を祀る八坂神社の摂社で天延二年(974)
東洞院四条下る西側に建立されました。
その後、秀吉の命により烏丸五条上るに移されました。
さらに四條京極に合祀され、そして明治10〔1877〕年からは現在地に鎮座しています。
当初建立の場所は元悪王子町で、最初の移転地は悪王子町と呼ばれ、
それぞれが今の町名の由来ともなっているそうです。

悪王子社て名前はいかにも悪い王子?て感じがする名前ですが、
悪王子社の悪は悪いって意味ではなく、「荒々しく強い」という意味で
「荒御魂」が祀られています。

こちらは烏丸通りにあります。
大政所御旅所です。
祇園祭創生の頃、円融天皇の天延二年(974)、
高辻東洞院に住む秦助正(はたのすけまさ)という人物が、
夢の中で八坂大神の神幸を見て、さらに自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を
引いている光景を見たことから、不思議に思って朝廷にこのことを奏上した結果、
祇園社祭神の神託により助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるように
なったということです。

以来御旅所として毎年用いられましたが、室町時代末期の天文五年(1536)に
戦国の騒乱のため焼失したということです。
その後、天正十九年(1591)に、豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移された後、
町内の人々が旧地に小祠を建てて、八坂大神を祀って大政所町の鎮守社としました。
尚、現在も、祇園祭の還幸祭では、大政所御旅所に三基の神輿が立ち寄って、
神職がその前に玉串が奉納されます。
普段は知らず知らず通りすぎてしまいそうですが、祗園祭りのときはここは
にぎわいます。

なお御旅所とは、一般には神さんが神社から外へ出かけられ時の休憩所、
宿泊所だそうです。

まだまだ散歩していると今度はこんなところを見つけました。
与謝蕪村 邸宅跡です。
与謝蕪村は松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人です。
江戸で俳句を学んだのち上洛し、その後居を転々とし、42歳の頃京都に落ち着きます。
島原角屋などで句を教えるかたわら、この地で絵画や俳句の創作活動を行い、
仏光寺通烏丸西入の居宅で天明3年(1784年)にこの邸宅で68歳の生涯を閉じたそうです。
現在は和装商社になっています。 

またまだ京都には歴史にふれることのできる場所がたくさんあります。
また色々な場所をお伝えしていきます。
それでは本日も最後までお読みいただき有難うございました。平沼