こんにちは平沼です。
本日は京都西山・名勝嵐山の中腹にある『十三まいり』のお寺として知られている
法輪寺をご紹介します。
実は法輪寺は、京都の子供は男女を問わず法輪寺に十三参りに来る習慣があります。
法輪寺は、和銅6年(713)行基(ぎょうぎ)菩薩の開基と伝えられ、
古義真言宗(こぎしんごんしゅう)に属します。
もとは葛井(くずい)寺と称されましたが、弘法大師の高弟の道昌僧正が貞観10年(868)
堂塔をおこして法輪寺と改め、弘法大師の修行の遺跡として有名な境内の葛井(かどのい)に
姿を現した虚空蔵菩薩を自ら彫って本尊としたと伝えられています。
本尊虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は嵯峨の虚空蔵さんとして古くから親しまれており、
今昔物語・枕草子・平家物語などに記述され、智恵・福徳・技芸上達そして丑寅年生の
護本尊の仏様として知られています。
こちらは、本堂前の両脇にある阿形(あぎょう)の寅です。
虚空蔵菩薩の守り本尊として、寅年と丑年生まれの方にご利益があるとされています。
本堂向かって左手には、吽形(うんぎょう)の牛があります。
こちらは虚空蔵菩薩が姿を変えたといわれる羊の像です。
この羊を触ることにより、参拝者は智恵を授かるのだそうです。
こちらは境内にある広い見晴らし台です。
法輪寺は、小高い丘の上にあり、境内の展望台からは嵐山をはじめ京都市内を
一望することができますよ。
広い見晴らし台からはこのように渡月橋を見下ろす景色もみることが
できます。今はまだ寒いのでこれから桜の時期や新緑などの季節は
景色がとてもきれいです。
実はこの渡月橋は、法輪橋と呼ばれていました。
西暦800年頃、弘法大師の高弟で道昌僧正(どうしょうそうしょう)と云う立派な高僧が現れ、
道昌僧正は承和年間(AD834年~847年)勅願によって大堰川を修築し、
橋を架け、船筏の便を開きました。
その後亀山上皇(AD1274年~1287年)がこの橋を見て「くまなき月の渡るに似たり」
として現在の渡月橋と命名されたといいます。
今では嵐山を代表する渡月橋ですが、法輪寺と呼ばれていたなんて
ご存じない方も結構おられるのではないでしょうか・・・。
こちらは電気・電波を守護する鎮守社の電電宮です。
電電宮は、本尊虚空蔵大菩薩の御誓願をもとに電気電波の祖神として
電力、電気、電波、電子等あらゆる電気関係事業の発展と無事故安全を祈願します。
こちらは法輪寺境内にある電気電波関係者の霊を顕彰する塔です。
電気研究者の代表としてエジソン、
電波研究者の代表としてヘルツの胸像が掲げられています。
実は京都の子供は男女を問わず法輪寺に十三参りに来る習慣があります。
十三まいりは、安永年間(1772~81年)の昔から伝わり、
京都、嵯峨の法輪寺が発祥であるといわれています。
この行事は京都を中心に近畿一円で広く行われていますが、
あまり関東では一般的ではないようで、十三まいりの習慣がない地域もあります。
私は京都生まれ京都育ちなので、私が13歳の時にいったおぼえ
があります。
お参りをした後、渡月橋を渡るまでうしろを振り返らないように・・と両親に言われました。
振り返ると せっかく授かった知恵を落としていくとのことです。
法輪寺いかがでしたでしょうか?
法輪寺は小高い丘の上にあるので、お参り後に景色を見るのもとてもいいですよ。
これからの嵐山の桜景色も一望できるのでぜひお参りに行ってみてください。
本日は最後までお読みいただき有難うございました。平沼