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紫陽花の寺

■毎週日曜更新 権太呂スタッフの「旬な京都便り」

2011.06.26

こんにちは、中西です。梅雨の季節は濡れるので外出も避けたいところですが、
この季節だからこそきれいに咲く花もあります。今回は紫陽花の咲く寺、それも一度に
2か所というお得な(?)ブログのはじまり、はじまり~

新聞のアンケートによると、関西で行きたい紫陽花の名所1位は矢田寺(奈良大和郡山市)、
2位は三室戸寺(京都宇治市)、3位は神戸市立森林植物園(神戸市)となっていました。

善峰(よしみね)寺はランク外だったので、知名度アップのために紹介しなくてはと奮い立って
行ってきました。(バスは1時間に1本ですから、奮い立たなくては行けません。)
ちょうど桂昌院忌が行われますのでそれに合わせて行くことにしました。

ここで「桂昌院」についてご説明します。3代将軍徳川家光の側室で、5代将軍徳川綱吉
(生類憐みの令を出した人)の生母。子供の時からよく善峰寺にお参りにきていた信心深い人で、
応仁の乱で焼けた善峰寺を再建したのも彼女です。今年は307回忌です。

ところで、先々週に行った「勧修寺」も「応仁の乱」で焼失していました。山科と洛西は随分離れていて、
おまけに善峰寺は山の中にあります。こんなところまで戦火が及んだことが不思議です。京都にある
寺社仏閣で応仁の乱で焼失と書かれているのを他でも読んだ覚えがあります。

ネットで「応仁の乱」を検索すると、京都を中心に(狭い所なのに)11年も続いた内乱で、京都は
荒れはてとありました。ちなみに「応仁の乱」の暗記法は、「人の世むな(1467)しい応仁の乱」、
ちょっと賢くなった気がしました。


桂昌院お手植えのしだれ桜もあり、毎年きれいな花を咲かせています。もちろん樹齢は300年を超えています。

桂昌院忌と東日本大震災追悼回向のあとは楊雪元さんの中国笛の演奏と歌がありました。
盲目のアーティストとして知られる楊雪元さんの多種多様な笛の演奏に
会場は驚きの声に包まれます。
京都市立芸術大学では、笛ではなく声楽を学ばれたとか。迫力ある歌声にアンコールもかかり、
最後はみんなで「故郷」を歌いま
した。「来て良かった」「なんか得した気分やわ」という声も聞かれました。

 さて、当初の目的の紫陽花に話を戻します。

広大な敷地に色とりどりの紫陽花のつもりで行ってみたのですが、今年は花が遅れていて
蕾の方が多い位でした。

では、タイトルの写真はどこのものかといえば、伏見の藤森神社です。ここも例年より遅れているようですが、
ようやく咲き揃ってきました。広大な敷地とは逆で、狭い所を配置・動線を工夫し、2か所のあじさい苑で
多くの花を楽しめるようになっていました。
しばし、ご観覧を!


かたつむりやアマガエルではなく、とかげがひなたぼっこ中でした。

藤森神社は、平安時代以前より伏見にある古い神社で、義母から「もともと伏見稲荷がある場所は
藤森神社のもので、貸してあげはったら稲荷の方が繁盛して・・・」と聞いたことがあります。

伏見稲荷は、やはり応仁の乱で焼けていますが、今年おいなりさん鎮座1300年を迎えます。
「貸してあげはった」と義母はまるで昨日のことのように話して
いましたが、1000年くらい前の話
なのでしょうね、きっと。調べてみると稲荷大社の場所はもともと藤森神社があったと書かれていましたから、
地元民の
「言い伝え」恐るべしです。


近所の人がお参りに来ていました。

京都の紫陽花見所は、行くのに1日をかけてという所もありますが、ここは市内からの便もいいので気軽に電車で行けます。ちょっとおでかけにいい所ですよ。
当初は善峰寺を紹介するつもりでしたが、「応仁の乱と地元民の言い伝え」が印象に残る話になってしまいました。

最後までご覧頂きましてありがとうございました。